世界の平安のためにはルソーも私も生まれていなかった方がよかったのではないかどうか、それは未来が教えてくれるだろう
私は二年後をおもんぱかってしか、かつて生きたことがない。
私はふたたび盲目的に信じるようになるかも知れない。そうなればいいのだが!私は確かに信仰にはさからえないし、信じることができれば、それに越したことはない。信仰は大きな、真の幸福であるにちがいないということはわかる。
歴史家は私の裡に野心を、それも多くの野心を見いだすであろう。しかしそれはおそらくかつて存在した最も偉大な野心、最も高い野心なのである。すなわち、理性の帝国を建設し、ついにそれを圧しも圧されもせぬものにしようとの野心、そして人間のあらゆる機能の十全な行使、全的な享受を可能ならしめたいとの野心なのである
私の死後には、革命、というよりもむしろ革命を起こした思想が、新しい力をもってその事業をふたたび続けるだろう
私がいつもすべてのことに応え、すべてのことに立ち向かおうと待ち構えているように見えるのは、何かを企てる前に、永いあいだ瞑想し、起こるかも知れないことを予見しているからだ。
死は何でもない、しかし敗れて栄光もなく生きることは、毎日死ぬことである
精神上の苦痛に断乎として耐えることは、雨あられと降る弾丸の下に踏みとどまっていることと同様の真の勇気である
軍事計画を立てる時の私以上に小胆な人間はいないだろう。私はその場合に起りかねないあらゆる危険、あらゆる災禍を誇張して考え、全く苦しい動揺の状態にあるのだ。だがそれは私が側近の者たちの前にひどく朗らかな顔をして現われるのを妨げない。私はお産をする娘のようなものなのだ。そして決心がつくと、すべてを忘れ、どうしたらその決心を成功させることができるかということ以外は考えない